Topics&Columns(2000年12月24日)

― パーカーの生い立ち、そして初めての外国 ―

パーカーは1947年にうまれた。生まれた場所は、現在住んでいるところから車で数分とかからない。両親とも酒は飲まなかった。ミルクも飲まなかったが、ソーダなどのコーラの類を飲むのが好きだった。父親は重機のセールスマンだったがトップセールスマンだった。人を扱うのは得意だったのだ。ごく普通だったが、一つだけ普通ではないところがあった。嗅覚が鋭かったことだ。父親の嗅覚は鋭かった。部屋の端にいる人間のニンニク臭い息が感知できた。この資質をパーカーも受けついだ。しかし、若い頃のパーカーにはそれが人と違うということなどは知る由もなかった。

パーカーの子供時代はごく普通だった。公立の学校へ行き、自転車に乗り回し、そしてサッカーが好きな少年だった。ある女性とめぐり合ったと同時に自動車の運転も学んだ。ワシントンDCには数回は行ったことがあった。ボルチモアへも行ったことがあった。しかしモンクトンが彼の世界だった。高級ワインとは無縁の世界である。高校はヒアフォードという学校だったが、そこに集まる生徒達は、農機具を扱う技師か農家の子供達だった。パーカーはそういった連中とはちょっと違っていたが、サッカーが本当に好きで、普通に友達づきあいもしていた。パーカーは大学からの奨学金をもらえるぐらいには「利口」ではあったようだった。しかし奨学金を受けるための選定基準というのは、どうも父親の職業が事務職だったというぐらいのものらしい。そしてパーカーは、ある女学生と恋に落ちた。名前はパット・エツェルといい、現在の妻である。彼らは1965年にモンクトンの高校を卒業した。パパットの18歳の誕生日に、パーカーは初めてワインを味わった。甘く、泡のあるシャンパンまがいの飲み物だった。彼は一気飲みした。

パットはメリーランド州フレデリックの女子大に入学した。パーカーは最初はヴァージニア州の大学にサッカー奨学金を受けて入ったものの、メリーランド大学に転学して歴史と芸術をかじった。彼はがっしりした体格で、もみ上げをつけ、長い髪で、とくにグループに属するわけではなかったが愛想の良い学生だった。ベトナム戦争に関してはおぼろげな反対者だった。一時的にひざに負った怪我のためにベトナム行きの徴兵は免れたのだ。彼は、さほど興味があったわけではないが、いつのまにか法律を勉強して、その道のキャリアを選択することにした。

1967年の秋、パットはフランスのストラスブールへ留学することになった。パットの両親はパーカーとの関係に関して不満足だったので、良い機会だと思っていたようだ。しかしパーカーは彼女自身も別れたいのではないかと思って不安になっていた。彼は別れたくなかった。パットは今やすんなりとして優雅さをもかもし出すほどの美人に成長し、顔立ちもはっきりとし、いたずらっぽい目つきは魅力的だった。そんな彼女が外国人男性で一杯の世界に行ってしまったことがパーカーには気が気でなかった。最初の一学期は数回しか連絡できず、彼女の気持ちについてパーカーは思い切り不安を覚えるようになっていた。それでもクリスマスにはパリで会う約束をしていたのは安心ではあった。

しかし、田舎者のパーカーにとってはパリに行くということはとんでもないことだった。そのことを人にしゃべるだけで興奮するのだった。というのもそれまでに旅行した場所ではニューヨークが最も遠かった。飛行機には乗ったことはなかった。父親は飛行機に乗るならということで、靴とシャツとスリーピーススーツをそろえさせた。だかかしこまって乗り込んだニューヨーク行きのフライトの中で早速コーヒーをこぼしてしまった。ニューヨークからパリ行きのフライトに乗り込むと、隣にはカジュアルななりをしたハーバードの学生が座った。彼はパーカーがつけた染みに関してはとくに何もコメントをせず、パーカーにいろいろと教えてくれた。この人物はとてつもなく流暢なフランス語を操り、パリでは母親が彼を待っているのだとも言った。パーカーに、ヨーロッパで行くべきところを教えてくれたが、パーカーにとっては全てが気がめいるものだった。すべては想像を越えた出来事だった。

まもなく完全に気がめいってきた。飛行場の雑踏の中でパットに会うことが出来なかったらどうしよう、あるいはもし彼女がこなかったらどうしよう、もう自分のことを愛していなかったらどうしよう、など。パーカーは外国のことについてよく知らなかったが、フランスの恋人達というものは「こういうもの」とは聞いていた。だいたい、「フレンチ・キス」などといういかがわしいキスをするような連中なのだ。彼はウイスキーをもらい、酔っ払って寝た。

起きたのは10:45だった。パリ到着は10:30のはずだった。パーカーは「くそっ、降りすごした!」と叫んで通路に飛び出した。ハーバードの学生は、奇妙なものを見たような目つきであっけにとられてパーカーを見た。スチュワーデスがやってきてこれは電車とは違うのだからそのようなことはないと告げると、彼はもとの席に座った。「本当に飛行機は初めてなんだな」とハーバードの学生は言った。同時に機内アナウンスが流れてきた。その内容は、パリ上空は霧で着陸できないためにローマに行くというものだった。パーカーはまたしてもパニックになり「どうやってパリに行けばいいんだ!イタリア語をしゃべれないんだ!」と言った。ハーバードの学生は笑い、翌朝にはパリ行きのフライトが用意されるだろうと教えてくれた。そしてローマで一晩遊ぶというのも良い経験ではないかと言ったのだった。パーカーはようやく落ち着き、そのとおりにすることにしたのだった。これが彼の最初の海外旅行だった。

航空会社はホテルを用意してくれたが、パーカーは寝るどころか目が冴えきっていた。そこでバーに下り、そして外に出て通りをぶらついてみた。ヨーロッパの第一印象はその匂いだ。パーカーにはそれが何の匂いかがわかった。コロセウムの近くにテントを張って夜営しているジプシーは何頭かの馬を連れていたが、その馬が小水をした後の悪臭だった。夜明けになるとローマが息を吹き返すところを目にした。道端にあふれ返る文化と歴史に圧倒された。人々に、音に、そして建造物に対して魅了されてしまった。田舎者は見知らぬ光景に対して、自分の殻に閉じこもってちじこまってしまいがちだが、パーカーは逆だった。シャイになることなく完全に自分の中に目にしたものを取り入れ、ヨーロッパの虜になった。

霧のパリにたどり着くとパットが出迎えてくれた。まだ彼を愛していてくれたようだった。彼女は既にフランス語を話し、パリを案内した。トロカデロまで連れて行き、彼を振り向かせててみた。セーヌの向こう側に優雅に立っているエッフェル塔があった。パーカーは「わー!」と叫んでしまった。

若いカップルはラテン・クオーターの小さな宿に泊まった。数日間パリ市内を歩き回った。パーカーは飽きなかった。それどころか天国にいるような気分だった。ある夜近くのレストランで食事をした。パットは、遊び半分でエスカルゴ、かえるの足、ムール貝、パテ、そして匂いの強いチーズを頼んだ。モンクトンの若造には耐えられる食事であるはずがなかった。しかし違った。パーカーはそのとき、普通に「美味いね!」と言って平らげたのだった。パーカーが世界一の舌を持つ男とは二人ともそのときは知らなかったし、それからそうなるだろうとも二人ともも思わなかった。

彼らは情熱的に愛し合ったが、パーカーがどのようにしてワインがにはまって行ったかという話をしよう。彼らが注文したワインといえば決まってリストの中で最も安いものだった。カラフェでサービスされるようなごく普通のカジュアルワインである。今のパーカーの基準からすれば信じられないくらいの低レベルのものであった。しかしパーカーはすぐさまワインが気に入ったのだという。ここには食事と調和し会話を弾ませるための飲み物があると悟った。それでいて酔っ払わないし、考え方もしっかりしたままキープできる。リキュールやビールとは違ったものだった。この旅行の中で、ワインに対してどれほどの感動を覚えたのかは想像しにくい。曰くバーボンとかコーラの様には甘くないと思ったのか、人々が言うように果実の味がすると思ったのか、酸味が強いと思ったのかは定かではない。当時はパーカーといえども十分な表現方法は持ち合わせていなかった。だがパーカーはワインそのものが気に入った。フランスの文化の産物であるということ。そして伝統的な工芸品でありながら、喜びを人と分かちあうべきものというその存在が気に入っていた。喉元を通り過ぎるときに、彼は彼自身がまだ理解できない非常に大きな意味深いものが通り過ぎる感覚をかみしめていた。彼の反応はいつものようにストレートだった。毎晩違うワインを飲んだ。そして毎晩「これいいよね」と言っていた。しかしそのときは、それ以上は殆ど何も知らなかった。

パットはパーカーをストラスブールに連れて行った。彼は北東フランスの寒い気候の中で見たものについてショックを受けたと語った。二つの大戦の犠牲となったアルザスにはまだまだ瓦礫が多く残っていた。カフェや列車の中で障害者を見かけたし、記念碑には多くの犠牲者の名が連なってかかれていた。その様子はパーカーが想像したよりもはるかにひどいものであった。自分がいかに安全な場所に暮らしている存在であるかを悟った。アメリカはこの地を自由にするために戦ったということは良く知っていたが、彼自身は、それをアメリカ国民としての誇りと思ったことはなかった。フランス人はレジスタンスという活動の中で行なったものだ。レジスタンスというのは別に戦争時だからということではない。戦争だけではここの人々が受けてきた傷は説明しきれない。それはこの地に住む人々の一種の頑固さであり、原型に近い生活を保ちたいという姿勢から出てくるものである。パーカーはそれゆえにこの地の人々を尊敬し、毎晩彼らの造るワインに敬意を表しているのだ。

パーカーはストラスブールである医者に出会った。彼は若いカップルを伝統的なディナーに招待してくれた。3時間以上かかるコースである。敏感なパーカーにとってはその食事は単に喜びをもたらすだけのものではなく、何かしら深い啓示をあたえるものであるような気がした。これまでにない程に食事に対して意識を傾けた。このとき初めて品質の高いワインを飲んだ。だんだんと「あじわい」というものがわかってきつつあった。

この場面で、まことしやかにフランスでいわれている話はこうだ。パーカーは、ワインをすすった後に「良いワインですね。グレープフルーツの味わいがあり、レモンなどもかすかにあり・・・」という表現をした。そのときの医師は、パーカーの顔をじっと見つめ、こういったという。「君はリースリングの味わいの要素を今しゃべったのだよ。わかるかね?」そしてその瞬間にパーカーは自分の才能に気がついた・・・。ちょっと本当かどうかはわからないが、本当に近いことは間違いないのだろう。というのは、このストラスブールの旅行後の彼の生活には大きな変化がでたからだ。