Topics&Columns(2000年11月26日)
あるオークションでの値段
皆さんはスクリーミング・イーグルの1992年マグナムボトルとシャトー・ペトリュスの1961年ブティーユ2本とどちらに高い値段をつけますか?難しい?ですか。私は間違いなく後者に高値をつけます。その理由は1961年のシャトー・ペトリュスだからです。理由になっていないか・・・
11月21日にLAで行なわれたクリスティーズのオークションの結果を見ますと、主催者側の売上予想にたいして93%の売上の1.5百万ドルしかなかったようです。1450ロットが参加したが1241ロットしか売却されなかったのが原因。アメリカの景気も先行き不透明で、なんでもかんでもということにはならなかったのでしょう。
さて、冒頭のスクリーミング・イーグルは7475ドル、ペトリュス2本は7820ドルという事でしたが、個人的にはこの値段のつき方は納得がいきません。スクリーミング・イーグルの1992マグナムにそんな値段がついていいのでしょうか?「価値観の違い」といえばそうかもしれません。
私の個人的な趣味では、カリフォルニアの方がフランスより好きな方ですが、8000ドルが手元にあってどちらかを選んでよいということになれば間違いなくペトリュスを選びます。ペトリュスもかつては成り上がりと呼ばれたワインですが、それも30年前。現在は確固とした地位を築き上げボルドーでは泣く子も黙るペトリュスです。しかも40年という熟成を重ねてきたワイン。尊敬を払わずにいられません。
一方スクリーミング・イーグルがどうしてこれほどの値をつけるかといえば、あるヴィンテージにロバート・パーカーが100点だか99点だかをつけたのが始まりで「これが美味いワインだ」ということになって、アメリカのバブルも重なって値段がどんどんつりあがってきたのです。そうでなければ、ペトリュスと値段が比較されるようなワインではありえませんでした。ミスター・ロバート・パーカーは現在53歳。ワインの評価に100点法を導入し、今や業界で知らない人は全くいないというこの評論家はいつまでこの世界を支配続けるのでしょうか。今以上にその影響力を及ぼすことになるのでしょうか。本日はパーカー氏の話がメインになりそうです。(H)
いくつかのニュース
ごく最近売りに出されるという話があったコスでしたが、早くも買い手がつきました。ミシェル・レイビエというスイスに住むビジネスマンです。買収金額は115百万ドルということです。コスは2年前に同じ価格でオーナーが変わったばかりです。前回はプラッツ家の株式問題を解決するために行なわれた売却でしたが、今回の理由はわかりません。このニュースはいくつかのソースで伝えられました。(H)
フィナンシャルタイムズ11/18に掲載がありました。ジャンシス・ロビンソンの記事です。で一位はインシアード(フランスのビジネス・スクール)チームで、二位がハーバードチーム、三位はハーバードとロンドン・ビジネス・スクールでした。最も判定が困難だったのはRudesheimer Bischofsberg Riesling Kabinett 1995 とDomaine Capion 1997 red Vin de Pays de l'Herault le Jugeであったようで、「ラインガウ」と「フランス」を当てれば良かったのだそうですが、正解者はゼロだったようです。日本からは参加していません。多分出来ないでしょうが・・・ (H)
といってもアメリカの話です。いつでしたかイギリスのストリップ・ワインバーの話をしたことがありましたが・・・最近ピップ&クールな(つまり洒落た)ワインバーがいくつか出来ているそうです。「ローヌ」というワインバーでは5ドルから17ドルのグラス売りのワインを35種類揃えているようで、最近ワインに興味を持ち出した若者に「しゃれたインテリアと学ぶワイン」で人気の様です。シカゴの「ハドソン・クラブ」では、責任者のカート・バーン氏が開発したというステンレス製のサーバーで(見てみたーイ、ですね)お客にワインをサービスでき「ワインをこぼすことなく、クリーニング代もへった」そうです。(そうなのです。シカゴではウェイターはよくワインをこぼす。そしてアトランタでは、「ヴィーノ」が面白そうです。少しのワインとタパスをマッチングさせて楽しむのがはやっているようです。「最初は混乱がありましたが、最近は皆さんなれてきました」との事です。
どこもかしこまったソムリエはいないようですが、素性の知れないワインからヴィンテージワインまでグラス売りするのが特徴との事です。ワインスペクテータ・オンライン11/22からでした。日本では数年前からこのようなスタイルのワインバーは山ほどあるのですよね。アメリカ人のテイスト(嗜好)はようやくここまで来たか?つまり、若い人がワインを飲むようになるとワインバーが流行るようになるという意味です。(H)
ロバート・パーカーは、11月20日フランスの料理界の最高の名誉であるLe Grand Prix de l’Academie Internationale de la Gastronomieを受賞しました。昨年のレジオンドヌールに継ぐ栄誉です。パーカーが「フランスワインの栄光をアメリカ中に教育した」というその成果に対して贈られたものです。ボルドーには「53歳の法王」に対して、伝統的なワイン造りを危機におとしめるとして非難するものはあります。また「文化の奥深さに関係なくその場限りの快感を追求する」様になったとしてその原因をパーカーにあるとする声もあります。それでも、彼のお陰でワイン業界が活気付いたのは疑い様の無い事実です。11/20付けサ・タイムズからでした。ということで・・・(H)
ロバート・パーカーの話(その1)
ボストンに本拠がありますアトランティック・マンスリーがロバート・パーカーの特集記事を載せています。その中から、普通には知ることが出来ないパーカーの人となり、経験に関する情報をお伝えします。本文はhttp://www.theatlantic.com/issues/2000/12/langewiesche.htm#bioにあります。この文はWilliam Langewiescheによるもので、優れた文章です。できるだけそのニュアンスがお伝えできれば幸いです。長いですが・・・今日は第1回です。
部分引用:
「・・・彼のオフィスはモンクトンにあり、中にはブルドックとバセットが吠え、寝そべり、時にはおならをし、いびきをかく。パーカーは鋭い嗅覚の持ち主だが、犬達がそこにいるのを気に入っている。二人のアシスタントはいつもは外にいるが、ワインについてはあまり理解は深くない。だが犬が好きなので、時に犬を外におびき出す。年配の方のアシスタントはパーカーの元で数年働いているがワインの楽しみ方など全く教わったことはない。彼女は保護者のように、母のように、できる限りのことをしてやっている。パーカーの実の母親は、オフィスに舞い込む手紙の数々の仕分けを担当しているが、息子に対しては全く別の接し方をしている。彼女は強く、感情を表に表さない。ある午後、パーカーが嘆くように「数年来、苦情の手紙しかもらったことが無い」ともらしたことがあった。そのとき母は「あなたにはそんな手紙しか見せないようにしてるのよ」と事もなげに言ったのだ。
この母のやり方は多分正しいかった。彼は多分友人とただのおべっか使いを区別できなかったし、賞賛されると舞い上がってしまいがちだった。
・・・パーカーがこれまでにつけた最低のポイントは56点である。1979年のランバート・ブリッジ カベルネ・ソーヴィニョンにつけたポイントであった。「消費者はこれほど飲みにくいワインをどうやって造れるのか不思議に思うことだろう。このワインは強烈に野菜臭くそして馬小屋臭い、非常に特殊なフレーバーだ」と評した。しかし一般的には彼のポイントは70点台があまり良くないワインで、80点台はそこそこで、90点台は非常に良いワインということになる。パーカーが100点をつけたワインは、これまでテイストした220000のワインの中で、たったの76本しかない。彼は利害の対立を避けるために、贈り物・献金の類は一切受け付けないし、食事代は自分で支払い、特定のワインを買い込んだりする事はない。そのために、彼の評価は誠実で嘘の無いものとなるのだ。
・・・(パーカーのコメントを引用した後に)・・・この表現は誰でも理解できる。しかしフランスのワインメーカーは時として全くこれが気に入らない。一部のボルドーのワイン生産者達は、300年来彼らがワインの水準を決めてきたのだ。もし彼らが「このワインは世界にもっともふさわしい」といえば、そのように受け入れられてきた歴史があった。もし誰か納得できない人がいれば、それは単に「彼らはワインを良く知らない」ということだった。人々からは羨ましがられるステイタスを維持しつつ、大量のワインが高価で売れるような産業構造を形成していた。そこにパーカーが戦いを挑んできたのだ。ボルドーの人々は、需要と供給の法則を無視してワインの生産を続けることが出来なくなったし、偉大なるワインが常に良いとは限らないということを認めざるを得なくなったのである。
・・・ボルドーではワインは5種類のブドウを使用して生産される。・・・深みを与え、印象深くするためだ。伝統的には、複雑だか、薄い色のルビーのワインであった。ジロンド川右岸のメドック地区からの生産されるこれらのワインを、イギリス人はクラレットと呼んで1700年代から愛飲しつづけた。そして気候が寒すぎリ雨が多かったりした時には、ワインは「難解」と表現されたり「賞賛に値するほど厳格」なワインだったりした。もし若いうちに酸味が強すぎて飲めないほどであれば「すぐに飲むワインではなく、円熟するまで待ち、次世代に楽しむべき」とされた。
そこにパーカーが登場してきたのである。旧来の格付けを無視したそのアメリカ人らしいアプローチが、フランス国内の消費者にもアピールするようになると、ボルドーの人々は怒り狂った。パーカーは「色がこく、ドラマチックで、若くても印象強いワインを好む。」理論立てられたテイスティング方法を無視し、さらに不吉なことに、家系と伝統に関係ないワインを好む」とボルドーの人々は考えた。そして、それらのワインはメルローという品種に大きく影響されているワインばかりだった。メドックからすれば、新興地域であり、よりクラスの落ちる、シンプルなワインを生産するジロンド川右岸のサンテミリオンやポムロールのワインだった。小さなワイナリーが多く、色が濃くて濃厚で、素人にもより受け入れられやすいワインなのだった。次第に高い値段をつけ始め、最も高いワインはこの地域から生産されるようになった。パーカーは非難されるに値した。
ボルドーの人々に対して、パーカーについてのインタービューを行なった。そのとき彼らは、パーカーが来ると怖いということを正直に述べた。パーカーがワインをこき下ろすと値段は下がるし、ワインを賞賛すれば、パーカーがそういったということを使わずにいられない衝動に駆られるという。自分たちはまるで操り人形のようだともいうが、公の場ではパーカーとワイン生産者達は、お互い友人のように振舞っている。この2面性はボルドーの人々にとって屈辱的である。それ以上に、ボルドーはコントロールを失ってしまったともいえる。
しかし、ボルドー人のこのような皮肉な表情に対して、私たちはたぶんに尊敬しなければならない。・・・そして彼らはパーカーの貢献に対して大いなる尊敬を払わねばならない。彼がフランスの貴族を友人にできたというとすれば全くもってたちの悪い冗談なのだが、彼は過去10年の間にフランスでは2度の受賞をしている(松元注:上の記事を入れると3回になります)。ボルドーの人々が彼の栄誉をたたえ、政治家を動かして授与したのである。最近の受賞はレジオンドヌール勲位で、フランスでは最も権威のある勲章である。1999年6月にシラク大統領から直接手渡された。パーカーはその勲位を授かる瞬間、彼は目に涙を浮かべていた。
もしフランスワインの改革がその名を高めることによって行なわれたとするならば、パーカーこそは確かにフランスワインの名を高めた事は間違いない。そしてそう考えてパーカーをたたえたボルドーの人々も少なくは無かった。しかし、それ以上に彼らがパーカーに対して与えたメダルは、彼ら自身がパーカーとは共存していかなければならないという事を認知するものであったと考えるべきだろう。
以前は違った。多分こういえばわかるだろうか。あなたに、邪魔くさいどうしても黙らせることができない人物がいるとしたらどうだろう。何らかの烙印をつけて悪者にしてしまわなければならない。パリでの受賞の前にはフランス人はパーカーに対してそれもやった。様々な野次、非難の砲火を浴びせ続けていた。パーカーが書いたことを責め、パーカーが書かなかったことを責めた。そしてその中間とも言えるが、翻訳上の誤訳を責めた。例えば、パーカーがあるワイナリーのことを「嫌悪感をおぼえる(dusgusting)」という表現を使用したときに翻訳者が「吐き気をもよおさせる(degueulasse)」と訳してしまったことがあった。フランス語のこの言葉を文字通り英語にすれば「nauseating」にあたり、確かに訳が適切で無かったともいえる。(松元注:しかしパーカーの表現には、ワイン、ワイナリーその他を表するには適切でない言葉もある、例えば「古いジンファンデルを好む人は死姦趣味だ」と述べています)このとき、フランス人たちはパーカーに対して公の場での謝罪を要求し訴訟を起こした。パーカーは数十万ドルの訴訟費用を費やさねばならなくなった。フランス人たちは、自分たちのワイナリーに入ることを禁じ、パーカーの友人と思しき人々を次々に首にさえした。そしてアンチ・パーカーのキャンペーンを行い、新聞・雑誌で何度もさらし者にした。ブラックリストに載せ、読者にとってパーカーのコメントは何の意味もなさなくなるほどパーカーの文章の誤りをあさり、揚げ足をちってそれを非難した。その結果パーカーはブルゴーニュからは殆ど追放されたに等しい状態になった。ブルゴーニュでの失敗の話は複雑なので必ずしもボルドーには当てはまらないが、フランス以外のどの国でもパーカーに対してこれほど嫌悪感を抱きはしなかった。パーカーは私に「これは罠だと思ったことが何回かあった」と述べた。命に別状はなかったし、今やボルドーの人々もオープンに話してくれたことであるが、一度飲酒運転でパーカーを逮捕しようとしたことがあったというのだ。そして「犬に襲われたことがあった」ともいう。それは小さな犬だったが獰猛だったようだ。
パーカーがボルドーに宿泊していたある夜、シュヴァル・ブランのマネジャーであるジャック・エブラール氏から電話を受けた。「最近のヴィンテージ」について「残念だ」という評価をパーカー自身は下していた。エブラールは怒りのためにおさまりがつかないようだったので、パーカーは次の夜にシャトーを訪問してワインを再評価するということに合意した。翌晩、パーカーが訪問すると、ドアが開いたとたんに、シュナウザーがうなりをあげながら飛び出し、パーカーの足に噛み付いた。エブラールはパーカーの顔の様子をうかがいながらも犬を止める様子は無かった。何とか犬を振り切ったパーカーはエブラ―ルにしたがって部屋に入った。パーカーのズボンは破け、かまれた足からは血が流れ出しているのが灯りの中ではっきりわかった。パーカーはエブラ―ルに包帯を頼んだが、エブラ―ルはパーカーの方に寄ってきて、傷を眺めて鼻を鳴らした。一言もいわないで、デスクの引出しを引っ張り出し、ワイン・アドヴォケイトを取り出した。「私のワインについてよくもこんなことをかいてくれたな!」といってデスクに叩きつけた。
「だからこそここに来たのですよ。再評価するんですよ。あなたは私が間違っていると思っているのですから」「なに?再評価などさせるつもりは無い」
パーカーは受けて立つことにした。
「あのですね。今日私は仕事を終えてからわざわざ来たんですよ。わたしにテイスティングさせるとあなたが言ったからです。そして来てみたら、犬にさえ噛み付かれたんですよ。もし私が間違っているとしたら、私が自分でそう認めるのが最もいいと思うのですがね」
エブラ―ルは、大またで部屋を出て行った。パーカーは諦めて出て行こうと思った。しかしエブラ―ルはすぐに戻ってきた。
「じゃあテイスティングをやってもらおうじゃないか」
パーカーはびっこを引きながら、エブラ―ルに続いてテイスティングルームにはいった。すばやくテイスティングした。いつものように。2度テイストして確かめた。パーカーは残念なことに、自分が間違っていたことを悟った。自分が考えていた以上にワインは良かった・・・
彼はホテルに戻るやいなや傷口を洗い流した。そしてすぐに本日のレビューを書き始めた。批評家はしばしば自分の好きな人々の努力を非難しなければならないのだが、それと同じように全く逆のことを行なわねばならないこともある。つまり、エブロールの仕事振りは最高のものであるということを書くことに時間を費やさねばならなかった。ボルドーの人々は、パーカー自身が、自らが下した間違った判断によって罰を受けたことに満足を覚えた。無論パーカーが足に小さな土産をもらったことに対してだ。
引用終わり:
つづく(H)